Vol.9

伝統の小倉織で世界へ-母娘、二人三脚の挑戦

江戸時代、多くの人たちに親しまれた小倉織をよみがえらせる。そんな決意を胸に秘め、小倉クリエーション(福岡県北九州市)を立ち上げた渡部英子社長。その思いを同社の小倉織ブランド「小倉 縞縞(こくら しましま)」という形にした。ただ、渡部社長はそこにとどまらない。小倉織・再生に共感した長女の渡部弥央(みお)専務と文字通りの二人三脚で、次はグローバルでのブランド確立に挑戦している。

伝統の小倉織で世界へ-母娘、二人三脚の挑戦

背中を押してくれた一言

小倉織はたて縞模様の木綿布で、たて糸3本に対してよこ糸1本の割合で織り、たて糸の特徴が鮮やかに出る。その歴史は古く、江戸時代初期から豊前小倉藩(福岡県北九州市)で袴や帯などに使われ、全国に拡大。ところが、昭和初期、小倉織はいったん途絶えてしまう。戦時下で、この地域の産業が重工業に向かったためだ。それを復元したのが、渡部社長の姉である染織家・築城(ついき)則子さんだ。偶然手にした小さな端布から2年の研究を経て、1984年に小倉織を復元した。

ただ、染織家ら個人事業主がつくる小倉織は、制作工程のすべてがハンドメードゆえに、どうしても生産量がわずかになってしまう。渡部社長によると、たくさんの人たちに愛された小倉織の本当の意味での再生は、小倉織が汎用品になってこそ。そのため、小倉織の機械織りにチャレンジしたかった。築城さんに相談した渡部社長は、「『挑戦してみたら』という言葉に背中を押してもらいました」という。こうして1996年、築城さんを契約デザイナーに、小倉織のデザイン企画、製造、販売を手がける小倉クリエーションを設立した。

小倉織を復元した染織家・築城則子さん

小倉織を復元・再生した染織家・築城則子さん

小倉織ブランド「小倉 縞縞」

渡部社長は、小倉織の機械織りでの復元に心血を注いだ。協力工場を懸命に探し、福岡県内にある中小企業の工場内の設備の一部を小倉織の機械織り専用にしてもらう契約を交わし、研究開発に取り組んだ。1997年、明治時代に小倉高校の制服に使用された「霜降り」という生地の小倉織を機械織りで復元。さらに、小倉織(たて縞・先染め)の機械織りによる広巾での生産についても成果を得た。ただ、限られた時間、人員の中、販売先の開拓は後手に回った。「一目見ただけでインパクトあるデザインであれば、お客さまにも強く印象に残るのではないか」(渡部社長)と考え始めたのはこの頃だった。試行錯誤の末、2007年に鮮やかなストライプが特徴の小倉織ブランド「小倉 縞縞」を生みだした。

この年、長女である弥央さん(現・専務)が小倉クリエーションに入社し、渡部社長にとって、心強い味方が増えた。渡部専務は台湾留学を機に、現地の日系企業に就職するなどし、社会人経験を積んでいた。渡部専務によると、「台湾で働いているうちに日本の工芸を世界に発信していきたい、と思うようになりました。小さい頃は糸偏にすら興味がなかったんですけどね。小倉織ブランドを立ち上げると聞いたのが、母の会社に入る良いきっかけになりました」という。ここから文字通り、小倉織・再生に向けた母娘の二人三脚が始まる。

渡部弥央専務

渡部弥央専務

訪れた転機

ブランド立ち上げから間もなく、2007年の福岡県産業デザイン賞(現・福岡デザインアワード)で大賞を受けた。これが小倉クリエーションに大きな転機をもたらす。これまで入ってこなかったさまざまな情報が、この受賞を機に、どんどん集まるようになった。その中で出会ったのが栗原智幸氏(現・福岡県飯塚中小企業振興事務所所長)だ。当時、経済産業省が日本の日用品が世界に通用するブランドに育つのを支援する「生活関連産業ブランド育成事業(通称:sozo_comm)」を立ち上げ、初めての募集をスタートしており、そこへの応募を熱心に勧めてくれたという。

渡部社長によると、当初、企業として国内の基盤もままならない状況で、いきなり海外に目を向けることには大きなとまどいがあった。「栗原さんはそうした状況を踏まえながらも、立ち上げたばかりの『小倉 縞縞』の可能性などを丁寧に説明してくれ、海外展開に興味が湧いてきました。だから、勉強の意味でも応募することにしたんです」。海外出品商品に製品が選ばれた同社は、ドイツ見本市「アンビエンテ2008」に初参加。これが同社として初の海外進出になる。渡部社長は、「栗原さんの助言がなければ、海外展開はずっと後になっていたかもしれません」と振り返る。

機械織りで小倉織を汎用品に

機械織りで小倉織を汎用品に

海外進出、幸先よし

このドイツ見本市で同社の商品は、周囲を驚かせるほどの反響を得た。米国、ドイツのセレクトショップをはじめ、スイスの大手百貨店から相次いで注文を受けた。日本のバイヤーにも注目され、国内の大手百貨店を中心に期間限定ショップを開かないかとか、通販カタログに載せてほしいなどの依頼が次々に飛び込んできた。「国内からの発注が一番大きかったですね。国内ではこれまで営業をかけたことがなかったですから。営業のチャンネルができたことが本当にうれしかった」(渡部社長)。

以降、アンビエンテのほか、仏・パリ見本市「メゾン・エ・オブジェ」など、さまざまな海外の展示会に出展する。2010年には経産省が認定する「ジャパン・ブランド」「グッドデザイン賞」にも選ばれた。こうした中、渡部社長が最も印象に残っている助言の一つは、当時、日本貿易振興機構(ジェトロ)から派遣されたアドバイザーの草野信明氏(現・クレアツォーネ社長)の言葉という。渡部社長によると、「3年間は海外に出続けろ、そして、海外展示会では日本人で群れるなというアドバイスを覚えています。その言葉に共感し、その通りに実践してきました」。

2008年以降、海外の展示会に毎年参加

2008年以降、海外の展示会に毎年参加

今治タオルとのコラボ

「海外の展示会では本当にいろんな人たちと出会います」と、渡部専務はいう。2011年のメゾン・エ・オブジェで出会ったイタリアのインテリアデザイナー パオロ・バデスコ氏もその一人。この見本市で小倉クリエーションが表現した小倉織の世界観をバデスコ氏が気に入り、通訳を介して、このままこのレイアウトをミラノに持っていかないかと提案してきたという。これをきっかけに、同社は、イタリア・ミラノで開催される世界最大規模の家具見本市 「ミラノサローネ2011」に初めて出展することになった。「本当に不思議な縁でした」と渡部社長は笑う。

こうした出会いは国内でもたくさんあった。今治タオルを製造・販売する田中産業(愛媛県今治市)とのコラボレーションによるタオルは、たまたま展示ブースが近くだった田中産業の営業マンが、小倉織に強く惹かれたことがきっかけだったという。渡部社長によると、当初の予想をはるかに超える売り上げになったといい、「ものすごく売れています。結果として、とても良いコラボになりました」。今後も機会があれば、新たな連携にも前向きに検討するとのことだ。

今治タオルづくりでコラボレーション

今治タオルづくりでコラボレーション

次のステージへ

しかし、決してここまで平たんな道のりをたどってきたわけではない。中でも、2011年以降、為替相場の円高について頭を悩ました。円高の影響で、製品一つひとつが取引先にとって非常に高価に見えてしまい、関心を示してくれるものの、成約につながらなくなった。そのため、同社はこれまでのように小倉織を製品にした上で海外に販売するやり方を変え、小倉織の生地そのものを買ってもらい、それを顧客に加工してもらう方法に切り替えた。

また、2008年以降、これまで毎年出展してきた欧州の展示会も、2016年末でいったん「卒業」することにした。展示会などを通じ、欧州の販売エージェントが増えてきたことが大きいという。「展示会の出展に資金を投じるより、むしろ、その辺りはエージェントに任せて、費用を生地開発や製造体制、営業ツールの強化に充てた方が合理的といえる段階になりました」(渡部社長)。同社の海外展開が、次のステージに上がる手応えを得たようだ。

もっといろいろな人に小倉織を知ってもらいたいし、使ってもらいたい。そう語る渡部社長の目には、小倉織をグローバルブランドにする次の航海図が見えている。

渡部英子社長

渡部英子社長

渡部さんは語る

渡部英子社長

小倉織が広く使われていた当時、その衣服は着物であったり袴であったりしたわけですが、現在は、そういった衣服を日常でほとんど着なくなりました。そのため、小倉織で汎用品を目指すには、この現代社会のライフスタイルに沿ったものにする必要があります。小倉織の伝統を引き継ぎつつ、新しいアイデアを吹き込み、現代の小倉織としてよみがえらせることが当社の使命です。

小倉クリエーションが開発した小倉織ブランド「小倉 縞縞」の紹介動画




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